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IWANOKOの言葉
代表 佐藤 優哉
【クライミングとの出会い】
2003年21歳の頃。
それまでバスケやボクシングとやってきてとにかく体を動かすことが好きだったんですが、長続きしなかったのです。
そんなある時、友達に誘われて宮城県第二総合運動場(2001年宮城国体で使用した高さ15mのクライミングウォール)の講習会に行って、説明もさながらに登ったんですが、まさかの完登。
何でもありだったので5.11もないルートでしたが、その時に自分にはクライミングしかない!って直感しましたね。
それからは当時県内唯一のクライミングジムである「ビーナッツ」に仕事終わりに毎日のように通い、ロッククライミング(外岩)や大会(コンペ)にハマっていきました。
2006年オープンの県内に2つ目となるクライミングジム「ズィーボックス」社長の栗村洋一さんに誘われて就職しました。
天職って思うくらいジムの仕事が面白くて、クライミングライフが充実していく日々でした。
365日クライミングで頭がいっぱいで、休みとなると必ず前泊で岩場に駆け出して、岩登りの日々。
今思えば仕事が終わって毎週夜中に出発なんて、どこにそんな体力あったのかと思います。もうクライミングジャンキーでしたね!
そんながむしゃらに登り続けていたお陰で沢山のクライマー(仲間)と出会いがありました。
仙台に「仙登会」と言うクライミングチームがあるのですが、このチームの会長もしています。外岩の清掃活動や啓蒙活動などを行っていて、ユニークなメンバーが色々と教えてくれちゃいます。一年に一度の祭典である、みちのく湖畔公園内での「ボルフェス」でもランディング・スポット講習会をしたりと地域貢献しています。
個人競技なのにこんなにも人との繋がりがある。これがクライミングの素晴らしいところでもあるんですよね!
【競技者として】
選手としては遅咲きで国体出場が2011年の29歳になってからでした。
当時の相方のお陰もあり、2011年と2012年と2年連続で入賞も果たせました。
しかし、これ以降から全国の競技レベルも上がってきて予選敗退が続きました。
後に2020東京オリンピックの正式種目となり、スポーツクライミングが一躍ブームになり、ユースのレベルも飛躍的に伸びるようになりました。
競技としてはヴォリューム(大きなホールド)が使われるようになり、クライミングシーンが一変しました。
まさに飛んだり跳ねたりと言った感じです。私のもっとも苦手な動きでしたね。
岩場が好きなクライマーにとっては受け入れられない人もいたと思いますね。
私もその一人でしたが、ルートセッターとしてやっていくには避けては通れない道だったのです。
そして2018年36歳の頃、競技者から一線を退き、ルートセッターと指導者の道を進みました。
【指導者として】
ジムスタッフとして働いている時にスクールを展開していたのもあって、2007年に全国では初だったと思うんですが、小・中学生コンペの『スーパーキッズチャレンジ』を企画・開催しました。北海道から関東まで大勢の子供達に参加してもらいました。
あの東京オリンピックの銀メダルスト「野中 生萌」選手も参加していたんですよ!
大会種目はなんとボルダリング、持久力、スピードと3種目のコンバインド。これは間違いなく先駆けで世界初でしたね。
ボルダリングジムだったので持久力はぐるっとトラバースさせて、スピードは4mの直登といった内容でした。それでも選手が楽しそうに参加してるのを見て本当にやって良かったと実感したのを覚えています。
その頃から「ジュニアの育成こそ今後必要になる!」そう思って、この大会以降キッズの指導に力を入れるようになりました。
当時ジュニアスクールはまだ確立してなくて、他のスポーツでのジュニア育成と比べてもクライミングは低レベルなものでした。
どの競技も習い事としてやっているのに対して、クライミングは愛好家(趣味)のみ。
まずは習い事感覚で競技者を増やすことに専念しました。
2011年 仙台ジュニアクライミングクラブ(SJCC)を設立し、毎週子供達に通ってもらう基盤を作りました。
そして2013年退職・独立しSJCCを個人で展開していきます。
当時から目立っていたのが竹田 創(プロフィール参照)。
メキメキと上達していき、師匠である私の実力や体つきを軽く超えていきました。フランスからもレロンデル3姉妹(プロフィール参照)が帰仙の度にSJCCに参加してくれたことにより、周りの生徒も私自身も切磋琢磨していきました。
スクールの展開としてはコンペだけではな外岩にも連れて行くようにしていて、子ども達にはクライミングの奥深さ、楽しさを知ってもらいたいと思っています。
特に外岩にはロマンがある!古臭い言葉ですが、クライミングの歴史を探ると、ルートを初登した人やそのエピソードがあってより感情移入するんです。
そんな開拓者のルートを一本でも登って欲しいと思っています。
【独立】
2013年に独立してからはこれまでの経験を活かしてフリーでスクール・セッターと展開していきます。
ただ周りで同じようにフリーで動いている人がいなかったので、右も左も分からずに受けられる仕事を受けつつ、アルバイトでつないでいました。佐川急便や荷揚屋とかやってましたね。
そして出会うべくしてBOTANIXの伊藤 剛史(タケさん)さんと出会います。
世界でも珍しい曲面壁を手掛けるのがこのBOTANIXでした。
BOTANIXの曲面壁は横方向の曲がりだけでなく縦方向も捻じっちゃうんです。まさに木が生えているかのように生きた壁でカルチャーショックでしたね!
また個性的なメンバーでそこに惹かれました。タケさん以外ほぼB型ってのがまたツボで。毎晩メンバーで飲み明かして、もはやクライマーではなくなった時期もありましたが、いつも刺激的な毎日で面白いんです。
その壁建ての経験も活かしてイベントクライミングウォールを設計から施工まで一人でやってみました。イベントウォールも3基あるのですが、親戚の納屋を借りながら全て手作りしました。実はこのイベントウォール始めたきっかけが女子大の学園祭だったんです(笑)
今ではうちの収益をまかなっている事業の一つです。
ルートセッター業としてはJMSCA公認ルートセッターとして東北をメインに公式戦にも参加しています。
年々選手のレベルが上がってきていて、セットの時期になると体を絞らないといけないんですが、これがまた壁建て後のたるんだお腹は中々戻らなくて大変なんです(笑)
東北出身のルートセッターは今でも片手で数えられる程度ですが、当時は私一人だけでした。とにかく独学で、フィーリングでセットしてましたね。知らないホールドも沢山増えてきて、またムーブのバリエーションが増えていく訳で、とにかく失敗の繰り返しです。今でも失敗し続けてますが、とにかく妥協せずに一本一本登り手を意識して作るようにしています。
【そして10年】
そして独立して10年。
この節目に IWANOKOと改名して再スタートすることにしました。
東北を更に盛り上げるべく、これからも「クライミングが生き甲斐」で全国・海外を駆け巡り、積み上げてきた想いを乗せてご提案いたします。
クライミングの楽しさを全力で伝えていきます。
代表プロフィール
佐藤優哉
1982年生まれ
ジュニアスクール運営/ルートセッター/壁建て/移動式ボルダリングウォールのイベント運営などを主に活動中。
最高グレード
リード オンサイト5.13a レッドポイント5.14a
ボルダリング フラッシュ初段 レッドポイント4段-
クライミング実績
2011年~2017年 | 国民体育大会山岳競技に宮城県代表選手として7年連続出場。 |
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2009年 | 山形県黒伏山にて「天の川」5.11cオールフリー初登。 |
2011年 | 第66回山口国体リード競技7位、ボルダリング競技8位入賞 宮城県鎌倉山にて「バースディ」5.13a初登。 秋田・山形県 三崎海岸「ジョン」5.13c第3登 岩手県 ひょうたんケイブ「龍神」5.13b |
2012年 | 第67回岐阜国体リード種目8位入賞 秋田・山形県 三崎海岸「阿弖流為」東北最高難易度である5.14aに成功。 山形県 山寺 「夢」5.13c/d 埼玉県 二子山「唐獅子牡丹」5.13c |
2014年 | アメリカ ブラックマウンテン/トラムウェイ 遠征 |
2015年 | 岡山県 備中「男の花道」5.13c |
2016年 | タイ クラビ 「HANG TEN」7c+/8a 東京都 御岳「ネクロフォビア」3段 |
2017年 | 栃木県那須塩原にて「カランバ」V12自己最高グレート更新 |
2019年 | フランス フォンテーヌブロー 「BIG BOSS」 7c 福島県 霊山「コスミ」3段 |
2022年 | 宮城県愛子ボルダーにて10年越しのプロジェクト「独眼竜」V11初登 愛子ボルダー・大船渡ボルダーでは開拓にも着手し数々の初登・再登を行う |
施工実績
2017年 | 宮城県仙台市個人宅 |
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2018年 | 宮城県仙台市個人宅 |
2019年 | 宮城県「聖クリストファー幼稚園」、福島県「Movement Climbing Space」改装、 |
2020年 | 山形県「Happy1yield bouldering」、「FLAT BOULDERING」改装、 宮城県「塩釜聖書バプテスト協会」、「クライミングジムコーティ」改装 |
2021年 | 山形県「BONKURA」改装、宮城県「momennt泉」改装、青森県「弘前第二すみれ保育園」、福島県「旧白根小学校内」 |
2022年 | 年宮城県名取市個人宅、山形県「蔵王きぼう学園」 |
メンテナンス実績
2015年 | 宮城県第二総合運動場クライミングウォール 岩手県運動公園クライミングウォール |
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2016年 | 秋田県八橋運動公園クライミングウォール、 岡山県Boulder Garden SABO 断熱工事(2017年) |
2017年 | 岩手県Zアリーナクライミングウォール |
2020年 | 山形県飯豊町スポーツセンター |
2021年 | 宮城県ズィーボックス断熱工事 |
イベントクライミングウォール
2016年 | 仙台白百合女子大学学園祭 |
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2017年 | 小岩井農場イベント、仙台白百合女子大学学園祭 |
2018年 | 須賀川アリーナスポレクフェスタ、宮城県武道館武道館祭り |
2019年 | 須賀川アリーナスポレクフェスタ、 宮城県武道館武道館祭り、 イオンモール天童、 利府グランディ21 |
2021年 | 利府グランディ21、丸森不動尊キャンプ場 |
2022年 | 利府グランディ21、丸森不動尊キャンプ場 |
ルートセット(公式戦)
2015年 | 公益社団法人日本山岳・スポーツクライミング協会ルートセッターC級取得。 秋田県国体予選会 |
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2016年 | 日本選手権兼日本ユース選手権、東京選手権 |
2017年 | 日本選手権、秋田県国体予選会、山形県国体予選会 |
2018年 | 山形県国体予選会、日本代表合宿 |
2019年 | 宮城県国体予選会、山形県国体予選会、山形県ジャパンツアー |
2020年 | 宮城県国体予選会、山形県国体予選会、ユース日本選手権 |
2021年 | 宮城県国体予選会、山形県国体予選会、福島県国体県予選会、東北ブロック大会 |
2022年 | 宮城県国体予選会、山形県国体予選会、福島県国体県予選会、宮城県ジャパンツアーボルダリング、大阪ジャパンツアーリード |
コーチング
2013年 | 小中学生を対象とした「仙台ジュニアクライミングクラブ」を設立。 数多くのプレイヤーを輩出。 |
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竹田 創
2019年 | IFSC世界ユース選手権ボルダリング3位、スピード2位 au SPEED STARS2位。 |
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2021年 | スピードジャパンカップ2位 スピードユース日本選手権1位 |
レロンデル・ソラ
2021年 | 世界ユース選手権 ヴォロネジ ボルダリング6位、リード16位 ヨーロッパユース選手権 ボルダリング3位、リード3位 ワールドカップ リード シャモニー、ブリアンソン出場 ワールドカップ ボルダリング メリンゲン出場 上記を含め15の国際大会に出場 |
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レロンデル・メイジュ
2021年 | 世界ユース選手権 ヴォロネジ ボルダリング2位、リード2位 ヨーロッパユースカップ プルス リード2位 ヨーロッパユースカップ オステームディゲン リード3位 ヨーロッパユースカップ グラッツ ボルダリング4位 |
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2022年 | 世界ユース選手権 ダラス リード2位 |
レロンデル・アミ
〇〇年 | フランスユース選手権ユースDコンバインド1位(全種目1位) |
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